第14回学術集会長挨拶

第14回文化看護学会学術集会のご案内


  私たちは新型コロナウィルス感染症の予報対策として、マスクをつけて、密閉、密集、密接をさけるために、ソーシャルディスタンスを保って不要不急の外出を控え、手指消毒や手洗いの励行を1年以上、続けています。顔を合わせることが難しい状況でも、オンラインで対面ができ、授業も学術集会も飲み会も時間と距離を超えて実施できる便利さに助けられて生活できます。この1年間で、私たちのICT経験知は目覚ましく増えました。

   一方で、私はオンライン機器から発せられる自分と相手の声をきき、顔を見てはいてもふれられないことになれることができません。情報交換に支障はないはずなのに、満たされないもやもや感は膨らむばかりです。手紙・電話、写真などで心や言葉で間接的に相手を感じ取り「ふれあ」えた経験は残っているにもかかわらず、もやもや感は違和感として体に残ります。「ふれる」「ふれられる」体験は、幼いころに抱っこ・おんぶ・なでられる気持のよさなどの安心感に繋がっています (虐待などの小児逆境体験のある人にとっては不安・緊張感に繋がることもありますが) 。「ふれる」がもたらす相互嵌入、相互性の契機が抜け落ちた「さわる」(坂部香,1983)という感覚に近いのかもしれません。私たちは、人間として生物的に共通してもつ身体だけでなく、一人一人が使いこなした記憶と伴にある身体と共に生きているとも考えられます。私たちが普段会話で感じている「相手と共にある感覚(共在感覚)」は文化に特有なコミュニケーション構造によって変化する(木村大治,2003)のは、民族間だけではなく、個別の文化でも異なるということかもしれません。

   コロナ禍では、「ふれる」ことだけではなく、「ふれあう」ことはさらなるリスクとなります。ゴリラ研究の世界的権威の山極寿一(2018)は、人間は生物としての特徴に文化による工夫を加えて進化を続け、「ぼっち飯」(食)と建売住宅(住)の変化が人をサルにすると危惧しています。コロナ禍がもたらした黙食・孤食などニューノーマルの生活様式は、私たちの暮らしや価値観、関係性を大きく変えようとしています。新型コロナウィルス感染症によって面会や日常の交流が難しくなり、看取りや葬送の状況は大きく変わりました。大切に思う人の看取りや葬送は、双方にとって「ふれあう」最後の機会であるとともに新たな「ふれあい」のはじまりでもあります。この二つの意味をもつ看取りと葬祭の変化は文化看護として考える必要のある重要なことと考えます。
   
   本学術集会では、以上のような生活様式の変化が「ふれあう」ことを前提とする看護やケアにもたらす影響を踏まえて、手や皮膚などのからだ、ことば、こころで「ふれあう」文化と看護について、「身体性」「関係性」「健康・生活の営みに関する価値観」「社会・組織」という4つの視点から追究したいと思います。
   
   自治医科大学のある栃木県下野市は、自然災害が比較的少なく、古くから薬師寺や国分寺等で発展した栃木県の中心地でした。新型コロナウィルス感染症の収束を祈りつつ、感染予防に努めて皆様をお迎えして、直接「ふれあう」ことができるようにいたします。一般演題に加え、あらたに交流集会の企画の募集も致します。多くの皆様に研究成果を発表していただき、有意義なディスカッションができることを期待いたします。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。


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